この記事にきてくれた皆さんは、カンボジアで全財産を失った僕のポンコツ話を聞きにくれたのですね。
わざわざ、ありがとうございます。
せっかくこの記事までご足労いただいたので、カンボジアに渡航する際、僕の二の舞にならないための秘訣もお伝えできればと思います。
簡単に、この記事でトピックを紹介します。
- カンボジアのバックパッカーで全財産消滅した話
- カンボジア旅行で気をつけたいこと
- カンボジアの行き方・名産・おすすめスポット
この記事を読んだ皆さんが最高のカンボジア旅行になることを祈って、Let’s get started!
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【全貌】カンボジアのバックパッカーで全財産消滅した話
時は2017年。僕は生まれて初めて東南アジアを旅していました。
タイからカンボジアまでは陸路移動(バス)が激安だったので、バスで向かうことになりました。
バスに揺られて、約10時間弱でやっと到着。
バスの降車時に日本語を話せるカンボジア人がいました。
その日本語を話せるカンボジア人は僕のプランを聞き、アンコールワットのツアー代(1日なら37ドル)と2泊3日のホテル代、帰りのバス代を全て予約してくれると言った。
いや、怪しいなぁ〜
とは思いながらもその時なぜか彼を信用してしまい、カンボジアで過ごすお金のほとんどを渡してしまいました。
これが失敗。後々かなり後悔することになります。
次の日、トゥクトゥクの運転手が迎えに来て、アンコールワットの日の出も見に行きました。
その後も色々な遺跡を回ることができました。
そのなかにはポル・ポト政権時に内紛で壊された遺跡が。
残酷な歴史にモヤモヤしながらホテルに帰って、
「明日、またバンコクに戻るために大人しく寝よう」しかしここで問題が発生。ホテルは一泊150円。
マジで暑すぎて寝れない。
追い討ちをかけるように扇風機まで壊れてしまい、仕方なくカンボジア最後の夜は虫除けスプレーの体に塗りたくって外で寝ることに。笑
そして運命の朝。
時間になっても一向にトゥクトゥクは迎えにこない。1時間後に
「トゥクトゥクがきた!」
と思ったら他の観光客でした。
それが三回ほど続き、心がへし折られるとともにイライラがつのっていきました。
で、結果来ないという事態に。
お金もやばかったので、トゥクトゥクを捕まえて急いでバス会社へ向かう。
が、バス会社なんて山ほどある。
結果見つけられずに途方にくれることになった。絶望的になった僕はユラユラと風に揺られて歩いていた。
お金が尽きた僕はそこから数日間、自然の恵(虫)を食べることで生き延びることになる。
全財産消滅..→救ってくれたのはカンボジア人
あの高貴な日本の国民とは思えないボロ雑巾のような姿の僕にひとりの女性が日本語で話しかけてきました。
「どうしましたか?」「何か困ったことはありましたか?」と。
心が腐り、極限までひねくれた僕は
「僕はもう騙されてたまるか!」と
「あ、お金ないです。カンボジア人に騙されたんで」というと彼女は
「何か飲みますか?」とひとこと。
腐りきった僕は、「どーせ、自分の店の商売やろ。どいつもこいつもクソがっ」と心で叫ぶ。
「だから、お金ないんで」と突き放す。
すると彼女は「何が飲みたいですか?」とまたひとこと。
「日本語通じてるんかな。」と思いつつ
「それじゃ、コーヒーで」というと店員さんがコーヒーを持ってきてくれる。
この時のコーヒーはマジで人生で1番美味かった!
すると彼女は店員さんにお金を払ってくれて、僕に質問をする。
「何かあったんですか?」
「おお。もしやこれは本物か!」
と思い、今まであったことを話すことにした。すると彼女はバス会社に連絡して予約を取ってくれた。
ただ、それが1週間先の予約であったため、それから1週間は彼女のお世話になることになった。
そう。カンボジア人に騙され、カンボジア人に助けられる結果に。
人生はわからないものですね。
彼女との出会いは僕にとって東南アジア旅行の中で一番の思い出となりました。
彼女は商売が忙しいにもかかわらず、ほぼ毎日僕に様々なカンボジアを見せてくれた。
綺麗な景色からあのポル・ポト政権の話まで。
僕の嫌いなビールも大量に飲まされ、虫もご馳走になり、カンボジアという国の良さを教えてもらいました。
そして遂に別れの時が来た。
名残惜しさもあったが、またいつか恩返しをしようと心に誓って僕はその場を後にした。
ただ、ここから第二弾スタート。
帰りのバスで国境を越える時また事件が起こりました。
チケットはもう既に購入してあるにもかかわらず、
イミグレーションに入る前に「国境を越える前にはチケットを預かる」といわれ奪われる。
国境を越えると「バスのチケットをください」とさっき奪われたチケットを別の人間に求められる。
「さっき渡したわ!」とばば怒るも、こっちはバスに乗せてもらう下等種族。
絶対に乗せないと言われ、バスの管理人に10000リエル払う(恩人のお金)
「はぁぁぁぁやっとか...」と思いバスに乗ると
またバスの運転手が10000リエルを要求してくる。
いや、は???
今払ったからという下等種族の言葉が通用するわけもなく、結果払うことに。
もうカンボジアなんか来るか。という思いもあったが、彼女のおかげでなんとかプラマイゼロになった。(失礼か)
恩人とは2年後再会しました。
ともあれ、しっかりと対策しないまま、カンボジアにいくと本当に僕と同じ目にあいます。
次章ではカンボジアに興味があるあなたに絶対知っておいて欲しい情報をまとめました。
【忠告!】カンボジアでバックパッカーするなら知っておくべき3つのこと
長々しい僕の失敗談をお聞きいただきありがとうございます。
さぁ、カンボジアでバックパッカーを予定している人、ここから必読です。
ここではカンボジアに行くなら絶対に知っておくべき知識をお伝えします。
それは以下の3つ。
- カンボジアの歴史
- 防犯知識
- カンボジアのお金事情
さぁ、準備はできましたか?Ready…..GO!
カンボジアという国の歴史
旅人がカンボジアの歴史を知っておく必要ってあるの?
こんな疑問を感じる人もいるはずです。
まさに、僕はそんな感じでした。笑
歴史的な建物をみても「これの何がいいんや。。全部同じやん。。」って。。
本当に後悔してます。
知っていると知らないとでは旅の楽しさが大きく変わります。
できる限り分かりやすくまとめたので、ぜひ渡航前には見返してみてください。
カンボジアの植民地時代
1884年、カンボジアはフランスの植民地となってしまいます。
フランスはベトナム人を利用して支配しました。このときにベトナム人の役人が法外な税金を取り立てるなどして、カンボジア人にひどい扱いをしていました。
その結果、カンボジア人はベトナム人に対して強い反感を持つようになります。
カンボジアの独立
1953年、カンボジアは独立します。当時の国王シハヌークによる独裁体制が始まります。
しかし、彼はフランスの企業や中国の企業は都市部の経済支援しかせず、農村部の経済は次第に疲弊していきました。
クメール・ルージュの成立
シハヌークの政策に苛立ち「もっと国民(農村)に優しい政府がいい!」という声のもと、台頭してきたのがクメール・ルージュ。
このクメールルージュにあの忌まわしきポル・ポトがいました。
1963年クメール・ベトミンのメンバーであったポル・ポトは、幹部人を密かに暗殺し共産党の実権をにぎります。
ベトナム戦争と文化大革命の影響
ベトナム戦争が始まると、シハヌークは南ベトナムへの攻撃を始めます。
これにより、南ベトナム・アメリカとの関係が悪化します。苦しくなったシハヌークは中国政府に近づき「友好不可侵条約」を締結し、軍事援助を受けます。
しかし、中国と近づいた結果、1966年から始まった中国の文化大革命の影響(社会的弱者を救え!)で、クメール・ルージュに「反シハヌーク」、「反王制」をうたわれてしまいます。シハヌークはこれにババ怒り。
クメール・ルージュを弾圧し、解放区へ追いやります。
アメリカの介入→クメール・ルージュの台頭
アメリカはベトナム戦争を早く終わらせるために、シハヌークの批判を強めていた共和党を支援し、クーデターを成功させロンノル政権が誕生。
帰る場所がなくなったシハヌークは中国に媚を売ります。
中国はシハヌークとクメール・ルージュとを和解させ、シハヌークを首班とする連合政権が完成。
シハヌークは外交の代表となり、クメール・ルージュは、中国から武器援助を受けるようになります。
一方で、アメリカの援助で政権を握ったロンノル政権は、アメリカの多大な援助を受け、政府内部や軍部では私腹を肥やすことに夢中になり、オワコン状態。
政府への反感が広がり、クメール・ルージュの解放区は広がっていきました。
そしてついに、1975年にクメール・ルージュは、首都プノンペンを獲得しました。
極悪非道のポル・ポト
プノンペンに入ってきたクメール・ルージュを見て、「救世主だ!」とプノンペン市民は大歓迎。
しかし、それは一瞬で終わります。クメール・ルージュの兵士が、プノンペンのすべての市民の家を訪れて、一人残らずその日のうちにプノンペンから強制退去を迫りました。
市民を農村部の強制集団キャンプへ送り、プノンペンに残っていたロンノル政権の役人と軍人はすべて射殺されてしまいました。
その理由は「知識があると反乱を起こす”かもしれない」から。すんごい屁理屈。
彼は相当自分に自信がなかったのでしょう。
僕の友人のお母さんもポル・ポト政権のクズに殺されてしまったそうです。。
ポル・ポトが政権を握った1975年4月から1979年1月までの間に殺されたり、飢餓や重労働で死亡した人数は、およそ300万人にのぼると言われています。
ポル・ポト政権は、その成立直後から政権内部の抗争が始まっていました。
ポル・ポトにより、反対派が粛清されてゆき、最後にはポル・ポトの血縁者だけが政権内に残るような形にまでなっていたのです。
この時代の内紛でアンコールワットという大事な文化遺産も壊され、今でも地雷があるため入れない地域もあります。
アンコールワットの付近では手や足がない人が物乞いをしています。極力渡さないことを心していますが、そうもできないほど痛々しかったです。
ポルポト政権の終わり
ポリポト政権が始まって約4年後、東部軍区の反乱が立て続けに起こり、ポル・ポトはプノンペンを放棄して逃げ去ります。
半年後に新政権が誕生し、悪魔のポルポト政権が終わります。
しかし、カンボジアの国内には4つの勢力が対立したままでした。プノンペン政権、シハヌーク派、ソンサン派、クメール・ルージュの4つ。
1990年6月に、紛争当事者による東京会議が行なわれ「カンボジア最高国民評議会(SNC)」が設置されました。
そして、1993年には初の選挙による国民議会が成立しました。そしてやっと、内戦続きだったカンボジアに平和が訪れたのでした。
本当に戦争はひどいものです。そして戦争が終わったからといって全てが元通りなんてありえません。
カンボジアのバックパッカーで必要な防犯の基礎知識
海外では犯罪は日常茶飯事。(盛ってます)
しかし、日本と比較すると犯罪が多いのは事実。
海外で多い犯罪は以下の通り。
注意
- 盗難
- 詐欺
- 強盗
ちなみに僕は全部コンプリートしています。笑
しかしですよ。皆さんは犯罪に巻き込まれたくないですよね。
犯罪を回避するために大事なことは、もしも犯罪に巻き込まれることがあっても、絶対に犯人を追わないことです。
犯罪者を追ってしまったがために、殺されてしまったケースもあるんです...。
1番はあなたの命が大事です。お金なんて死んだら意味がありません。全部あげちゃいましょう。
でも、まずはそうならないために基礎的な犯罪対策を覚えておくといいです。
防犯対策
1:リュックは前にもつ
リュックを背負うと後ろからチャックを開けられて貴重品をとられる可能性があります。
2:お店では貴重品は見えるところに置く
気づかないうちに貴重品を盗まれる可能性があります。
3:物乞いをする人には極力お金をあげない
物乞いに一度お金をあげると、それを見かけたたくさんの物乞いから「こいつはイケる!」と思われてしまいます。
また、物乞いは闇ルートに繋がっている場合も少なくなく、問題を起こしてしまうと大変なことになります。
4:外旅行の保険に加入する
短期の海外旅行の場合はクレカの保険で十分。海外旅行でオススメのクレカ保険はエポスカード。
5:財布はなるべく見えないようにする
日本人はお金を持っていると思っている外国人はいまだに多いです。そのため、目をつけられないことが大事です。
6:治安の悪いエリアには泊まらない
たびレジを登録すると渡航先の危険情報が分かるので参考にしてみてください。
7:夜は出かけない
夜は視野が悪くなり、人の目も少なることから犯罪が起きやすい時間になります。特に女性の夜の行動は危険なので絶対に出歩かないようにしましょう。
8:ホテルではロックを忘れない
ホテルの出入りが厳重でない可能性があります。短時間部屋をあける場合でも、部屋にいる時でも必ず部屋はロックするようにしましょう。
9:防犯グッズを持っていく
- セキュリティワイヤー
- 南京錠
- スキミング防犯グッズ
- リュックカバー
- エアタグ
- トラベルウォレット
- ドアロック
>>【失敗談から学べ!】海外旅行は防犯が命!危険を回避できる防犯グッズ5選!
リエル(カンボジアの通過)は価値なし→米ドル不可欠
カンボジアのお金には価値がありません。
なんせ、銀行でリエル→バーツ(タイの通過)・リエル→米ドルに換金しようとしても断られたくらいなので。笑
カンボジアの通過はカンボジアで使えない訳ではない。
しかし、カンボジアを出る時に「カンボジアに行ったよ!」という記念以外に使い道がないので、換金する場合は要注意です。
基本的に米ドルはどこのお店でも使えるので米ドルを持っている方が後から面倒なことになりにくいのでおすすめです。
【悲報→ビザ必須】カンボジアまでの行き方・移動手段
カンボジアにいく前にまず、知っておいて欲しいことはカンボジアの入国にはビザが必要ということ。
日本のビザは優秀ですが、カンボジアには通用しないようです。
取得方法は以下の2種類。
カンボジアビザの取得方法 | ||
---|---|---|
日本のカンボジア王国大使館 名誉領事館 |
事前に取得しておきたい場合 | 4500円 |
カンボジアの国際空港 | 到着時に取得する場合 | 30USD |
さて、そろそろ本題に参りましょうか。
ビザを取得してもまだまだ知っておくべきことがあります。
ここでは実際にカンボジアに行くまでの手段とカンボジアに到着してからの移動手段について紹介します。
最近は特にカンボジア国内での移動はかなり便利になってきました。
ただし、何点か注意点もあるので、特に赤マーク箇所は頭のなかでメモっておいてくださいね。
カンボジアまでの移動手段
- 空路でカンボジアまで行く場合
- 陸路でカンボジアまで行く場合
難破船を利用するか、海を泳いでいく以外、基本的に上記の2種類しかカンボジアまでいく手段はありません。
ですので、この2種類の移動手段について説明します。
空路での移動手段
基本的にはシェムリアップ国際空港かプノンペン国際空港を利用します。
2023年には新シェムリアップ国際空港も新設される予定だとか。
また、国内線を利用する場合はコンポンチュナン空港などいくつかあります。
陸路での移動手段
陸路で移動する場合は国境のイミグレーションを超えなくてはいけません。
ビザがない場合は申請に少し時間がかかります。
この時特に必要な書類はありませんでした。
できる限り日本で取得しておくと後々楽になります。
注意点は一度国内に入国し、出国したらビザは有効でなくなります。
カンボジア国内での移動手段
カンボジア国内での移動手段は主に3つあります。
移動手段
- 市バス
- 鉄道
- タクシー(トゥクトゥク)
市バス
市バスのメリットはある程度どこにでも行けて安いこと。
運賃は区間によらず、約50円程度。
利用する予定のある人は「Stops Near Me」のアプリをダウンロードしておくと
あなたが降りたい場所がアプリの地図上で把握できます。
鉄道
プノンペン市内〜空港を結ぶ鉄道路線はなんと片道250円。
ただし、よく遅刻するので時間が決まっている(飛行機など)予定がある時は利用しない方がいいです。
タクシー
東南アジアでよく見かけるトゥクトゥクです。
少し外出する時に便利です。
日本のようにタクシー乗り場というのは見かけないですが、「Grab」と「Pass App」といったアプリを使うことで気軽に安価に利用することもできます。
しっかり料金もアプリに表示されるので割り増しされることはありません。
お土産確定!カンボジアの名産品3選!
カンボジアに行ったら絶対お土産に買っていくべきおすすめ商品を紹介します。
伝統織物クメール・シルク
昔から庶民の間で織られてきた伝統的な絹織物クメール・シルク。
少し雑い作りに繊細さが混ざり込んでなんとも言えない手作り感がたまりません。
ポル・ポト政権の内戦時には作られなくなりましたが、2000年になってから徐々に作られるようになってきました。
最近ではバッグや小物などのファッションアイテムなども見かけることがあります。シェムリアップにいく際には絶対に買っておきたい一品です。
世界一の香辛料!カンボジア・ペッパー
日本で売られている一般的なペッパーとは大違い。ザ・スパイス!と感じざるを得ない優しさとスパイシーなハーモニーがあなたの味覚を刺激すること間違いなし。
胡椒自体は東南アジア全域で昔から作られているようですが、カンボジア・ペッパーは別格!
マーケットなら安くで購入できます。その際はまず味見をさせてもらうようにしましょう。
木彫り製品
マーケットや露天商でよく見かける木彫り製品。輸入物も正直多いですが、本格的な木彫り製品も多いです。
もともとアンコール王朝時代に仏像を木材で作るようになったことから始まる、これまた伝統的な工芸品。
小さいものや、簡単な木彫り製品は100円程度でも購入できます。せめて一個くらいは買ってあげてね。
カンボジアのおすすめスポット3選!
カンボジアおすすめスポットと言いながら、全てシェムリアップ付近です。笑
空港から近い観光地なので、移動にもそれほど時間がかからないので、カンボジアのシェリムアップに渡航する際には必ず行くべきスポットです。
アンコール・ワット
アンコール・ワットはシェリムアップにあるヒンドゥー教寺院。
「アンコールの遺跡群」のひとつとして世界遺産に登録されました。
アンコールはサンスクリット語で「王都」、ワットはクメール語で「寺院」という意味。
日の出がチョウ綺麗なので、絶対に見た方がいいです。
バイヨン寺院
バイヨンとは「美しい塔」の意味。
バイヨン寺院はアンコール朝の「中興の祖」、ジャヤバルマン7世がチャンパ(ベトナム)との戦争に勝利した記念に建てられたそう。
バイヨン寺院にはジャヤバルマン7世がトンレサップ湖上でチャンパと戦争をした時の場面などが壁画になっています。
当時の生活や市場の様子、樹木などの精緻な彫刻もあり、繊細なデザインが特徴的。
タ・プローム
タ・プロームはクメール語で「焚天の古老」を意味する仏教寺院。
ガジュマルの一種である スポアン(榕樹)の大樹が絡みついた神秘的な雰囲気が人気の遺跡。
まるで映画で見るような自然の脅威を感じることができるはず!
まとめ
どうでしたか?
結構なボリュームにお付き合いいただき誠にありがとうございました。
今回この記事では僕の経験をもとにカンボジアにバックパッカーで行く際に必要な情報をまとめました。
海外は情報が命といっても過言ではありません。
しっかり準備して最高の思い出を作ってきてください!