パタゴニアは、圧倒的な自然美と壮大な風景で世界中のバックパッカーから超絶人気の国です。
そんな最高な国に、私は11日間旅をしてきました。
思い出もかねてここにパタゴニア旅行記を記します。その他、準備や資金についても最後の方で紹介しているので、参考にしてもらえたら嬉しいです。
10泊11日のパタゴニア旅行記!
これまで数十カ国以上を旅してきましたが、パタゴニアで見た自然は世界でもトップクラスで壮大でした。
これから紹介する旅行記は、現地で少しづつ書きためたものです。誤字脱字はチェックしておりません!笑
適当に読み流していってください。それでは、いってらっしゃい!
キャンプ用具を現地調達
2020年2月25日。南米旅を始めて、30日が経った。私たちは、地球最後の楽園パタゴニアに突入しようとしていた。私とゼミの同期2人で。この旅はゼミの仲間3人でスタートした。途中後輩がアワヤスカをやりに行き、俺らは山登りに行ったりと分隊した時もあった。
そのあと合流したのだが、後輩がアワヤスカでビジョンをしっかり見てヨーロッパに行きます!と言い出した。
私たちは、いや俺はなんとなくそうなる気が途中からしていた。根拠はないけれどなんとなく彼は途中違うところに行くんじゃないかと。
だから、あまり驚きもなく、おぉ行ってこいよ!って背中を押した。元々この旅は、各々が最高にやりたいことを最高にやりまくる、最高に学び、最高に良い思い出になるようにすることが目的だったから全然これで良いと思った。
もちろん心のどこかでは、一緒にゴールしたかったとは思っていた…そんなこんなで、チリの空港で俺らパタゴニア組と、後輩のヨーロッパ組で突如お別れすることになった。寂しかったけれど、
お互い楽しもうな!日本で会おう!と
約束しそれぞれの道についた。私たちは、地球最後の楽園パタゴニアの玄関口、コジャイケと言う街に降り立った。
ここからどんどん南下していく。まず私たちが行ったことは、キャンプ用品を揃えることだった。そう、私たちはここから12日間テント生活をすることに決めていた。理由は
- 大自然を1番感じられる手段
- ぶっ飛びを求めるため
- 金が無かった!!!
調べると、パタゴニア地方の宿代はバカ高い。ドミトリー1泊千円は余裕で超えてくる。そんなの毎日泊まってたら金やばいって!ともちろんなった。
だからめちゃくちゃ計算した。2000円のテントがここコジャイケで手に入ると言う情報を聞きつけ、2000円のテント、マット、寝袋、ガス類あればドミトリー泊まるよりは安い!と発覚したため、このコジャイケで揃えることにした。
後の日程を計算すると、コジャイケに居れる日にちはたった1日。しかもコジャイケに着いたのは、午後4時ごろ。
つまり店が閉まる午後8時まではたったの4時間しかないのだ。まじで時間がない。ダッシュで宿に荷物を置き、朝から飲まず食わずのままホームセンターに駆け込んだ。
(このホームセンターが最後の砦とはこの時まだ分かっていなかった…)
めちゃくちゃ空腹で判断能力が鈍りすぎて、どのテントが良いのか、どの寝袋ならパタゴニアの夜を過ごせるかなど、あまり考えてなかった。
なので、とりあえず1番安い2000円のテントを買い、テントに敷くマットはヨガマット1枚を半分に切って2人で使うことにし、後は、寝袋、小ガス、ガスヘッドなどを買った。
後で、この判断を悔やむことになるとは…
眠い、空腹、周りからコロナコロナと言われまくる。ストレス値は半端なかった。
宿に帰り、飯を作る。ここから毎日自炊生活の始まりでもあった。今夜はパスタだ!持っていたあまりのペンネを加える。
この飯は南米で20回ぐらい作って食ったな。宿は、この3人部屋で俺らと、現地の人と寝る。ここも1泊1000円はしたんだよな
明日は、コジャイケからバスでトランキーロへ。トランキーロからいよいよテント生活だ。中身も知らないテントで。不安でいっぱいだ。さぁ、どんなパタゴニア生活が待っているのか!
▼余談
ここコジャイケには、パタゴニア世界最南端店があります!!!この黒いシェルジャケット買っちゃった。お値段なんと、日本の半額ぐらい!そりゃ買うでしょ!皆さんも、パタゴニアに行く際は是非、コジャイケのパタゴニアショップへ!
パタゴニアテント生活
パタゴニアの玄関口コジャイケからバスで約4時間。トランキーロという街に到着した。
トランキーロはスペイン語で「静寂な」という意味らしい。写真を見ていただければ分かると思うが、本当にその名の通りだ。
小さい村で、海、山、キャンパー、ヒッチハイカー、犬、地元民が少し、それだけだ。
とりあえずキャンプ場に行き、コジャイケで買ったテントを張った。
なんだ、この簡易テントは…山岳部で過ごしてきた私にとってはこのテントははっきり言ってゴミだ。
山では使い物にはならない。外張りがない、張り綱もない、ペグもない。雨が降れば濡れるし、風が吹けばぶっ飛ばされる。大丈夫なのか。3000円だからそんなものか。
あまりに安いものは衛生的に問題があったり、不良品であったりする可能性もあります。
購入する場合はしっかり商品を確認することをお勧めします。
ネガティブになっていても仕方なかったので、DIYで張り綱を作り、テント内部に石を詰めて補強をした。
そうこうしていたら、腹が減ってきた。しかし、僕たちには、鍋も食器も何もない。調達するべく小さい村に出たが、案の定店はなく、鍋も食器もなかった。
辛うじて見つけた、家用の砂糖入れを買い、カップとスプーンを手に入れた。ナイフとフォークはバラ売りで購入した。
続いて、食料はパスタ、ソース、グラム売りのパンとハムなどを購入。
キャンプ場に帰り、キャンプ場の主に鍋を貸してもらいなんとか調理をした。キャンプ場に誰かが捨てていったケチャップやソース類は本当に助かった。
ガスも貴重な資源だったので、誰かが捨てたまだ残っているガスを使うなどして工夫をした。
腹を満たした僕たちは、明日行く予定のアルゼンチン行きのバンを手に入れるべくバス停に行った。
トランキーロからアルゼンチンへはかなり遠い道のりだった。
まず、トランキーロ(チリ)からアルゼンチンの国境に行く。それから、アルゼンチンのエルチャルテン行の夜行バスに乗り込む。
夜行バスが出るのは夕方であった。トランキーロから国境へは4時間程かかる。私たちの国境行きのバンは昼の12時発だった。
となると、国境に着くのは16時。夜行バスに乗れるかは運転手の腕にかかっていた。エルチャルテン行きの夜行バスに乗れない可能性もある中、明日を迎えることになった。
日程がパツパツであった僕たちは祈るしかなかった。そして翌朝。
荷物をまとめて、バンを待つ。アルゼンチンに行く人は、僕ら以外に4人ほどいた。
運転手が、開口一番にこう言った。「お前ら、今日アルゼンチンに行くんだろ。出来る限りのスピードで連れていってやる!任せろ!」心強い。
途中で、鍋を調達した。(笑)
そして、時間通りに国境に着いた。バンの中は拍手喝采。運転手ありがとぉ!
そのまま国境を越え夜行バス乗り場まで行くバンに乗り換えた。国境はこんな感じ。難なく乗り越え、夜行バス乗り場へ急ぐ。夜行バス乗り場には既にバスも居て、皆乗車していた。
ダッシュでカウンターに行き「エルチャルテン行き2枚!!」とおっちゃんに言い、「これだ!あ、その前にエルチャルテンから次の目的地までのバスのチケット今めっちゃ安いから買ってけよ!」とめちゃくちゃお得なチケットもゲットし無事、夜行バスに乗車。
ふぅ、これでミッション達成だ。南米のバスはいつも天窓が開いている。
寒いんだよこれ。さぁ、アルゼンチン!エルチャルテン行くぞ!フィッツロイ!
地球最後の楽園パタゴニア
チリを越え、アルゼンチンに降り立った僕たちは、夜行バスに乗り込み「El Chalten」という街に向かっていた。約14時間の道のりである。
南米の夜行バスはこれまで乗ってきた東南アジアとは違って少し豪華なもので、夜ご飯(軽食)がついてリクライニングもバッチリなのだ。
値段は5000円ぐらいだったはず。こんな飯を食べ、寝て、起きたらこのような景色である。
そして、翌朝8時ごろにEl Chalten着。エルチャルテンという街には、世界中の誰もが見たことがある山がある。この形に見覚えはないだろうか。
そう。あのPatagoniaのデザインのモデルになった山がここ、フィッツロイだ。
Patagoniaを創設したイヴォン・シュイナは、The North Faceの創設者ダグラス・トンプキンスと親友。
かつて2人はアメリカから車で南米パタゴニアを目指し旅をした。
そして、このフィッツロイ山の新たなルートを2人は開拓した。2人はこの南米パタゴニアの自然に惚れ込み、今も自然保護に貢献しているのである。
誰しもが感動し、惚れ込むパタゴニアの大自然。そんな地に来れたなんて、山好きな僕にとっては最高の時間だった。
このエルチャルテンという街は、フィッツロイに行く観光客のために開かれた街といっても良いだろう。
キャンプ場、ホテル、スーパーが2つほど、あとは飲食店のみしかない小さな街である。
夜行バスを降りた私たちはキャンプ場を求めて薄暗く、肌寒い街を20kgの荷物を背負い歩いた。
20時間以上移動していたため、疲労が溜まっていた。早く一息つきたかった。旅の中で、宿はその場で決めることも多々ある。
無計画に見えるかもしれないが、日々予想しない事が起き、常に行程に変化が生じる旅にとっては、この無計画も計画のうちなのだ。
そして、テント場が広く、温水シャワー、炊事場に充電とWiFi付きの1人800円ほどの場所を見つけた。
流石パタゴニアだ。ロケーションに申し分はない。最高のコスパだ。
一際目立つボロテントを張り、明日から向かうフィッツロイ山行の予定を立てねばならなかった。その前にシャワーと飯が必要だ。
この旅で気付いた。人間は空腹状態や睡眠不足になると、判断能力や思考能力が著しく鈍りストレスが溜まる。
そんなケースがいくつもあった今回の旅であった。この時、流石に飯を作る元気が無かったため、アルゼンチン初の外飯を食いに行った。
レストランはどこも高そうだ。観光客向けの街なので仕方がない…テラス席のある気持ち良いレストランに入った。
僕が頼んだのは1000円程する超高級パスタ。これでも安い方であった。牛肉の塊があって美味かった。
流石アルゼンチンビーフだ。腹をためた後は、明日の計画を練る。フィッツロイの山の中に一泊二日。
コースや飯、時間のことなど全て完璧に決めて、頭に入れる。僕たちは、計画を立てることを怠らない。旅において、金と時間はうまく使ったもん勝ちだ。
その後、夜飯と明日からの一泊二日分の飯の材料を買い出し。ビールに肉に卵にパスタにパン。贅沢に買ってしまった。それにしてもパタゴニアで飲むビールは旨い!
夜飯は贅沢に2食作った。写真下にある牛肉の煮込みは山の中で食べる用に作った。
この煮込みにはフランス人シェフ特製の赤ワインソース入りだ。フランス人の青年は自転車で世界を回っているという。
ほろ酔いの中、パタゴニアの空に無限に広がる星を眺めながらお互いの旅の話をした。
日本に居たら会うことのない人々とこうやって地球の果てで語り合う。
こんな瞬間を色んな人の人生の中に作りたい。このスパークする瞬間を。
赤ワインソースがたまらなく美味い!ありがとうフランス人青年よ!余った牛肉煮込みをビニール袋に詰めてこの日は終了。
明日からいよいよフィッツロイに向かう。
きっと素晴らしい山なんだろうな。1日ぶりの寝床に感謝しながら眠りについた。
感動と学びの山フィッツロイ
朝8時過ぎ。山に入るための荷物だけを持って、フィッツロイに向けて出発した。キャンプ場から登山口までは徒歩10分。
私たちと同じような登山客が並んで山に入る。
登山口から登りが続く。少し茂みの中を歩くと、森を抜けた。そこには今まで見た中で一番の景色が広がっていた。
思わず「おぉ」、と声が出るほどの美しさであった。自然が呼吸している、生きている。
数々の歴史を積み重ねて、作り上げてきた地球の壮大さに圧倒された。私たちはこの自然と共に生きている。ふと、そう感じた。
この素晴らしい景色を横目にしながら私たちはフィッツロイを目指した。何と贅沢なことだ。そして1.2時間歩いた先にあの、フィッツロイが見えた。堂々と聳え立つフィッツロイ。何と美しくて、かっこいい山なんだ。
テント場を目指してパタゴニアの自然を全力で感じながら歩いた。最高の時間だ。
テント場には、既に登山客が沢山いた。私たちはいつものボロテントを広げて、まずは、ティータイム。この時間がすごく好きだった。
アルゼンチンは蜂蜜が安い。糖分補給にはもってこいなのでいつも紅茶にぶち込んでいた。
ちなみにこの紅茶はボリビアのホテルから頂戴したものだ。
滅多に泊まらないホテルでは取り放題を良いことにバックパックにスティックコーヒーやティーバッグを鷲掴みして詰めていた。
バックパッカーにはありがたい。モラルねぇな...。
昨晩作り置きしておいた炒め物も温める。このソース最高だぜ。
フランス人ありがとう。フィッツロイに向かうのは翌朝早朝。目指すのは、朝日に照らされる「燃えるフィッツロイ」
燃えるフィッツロイ
翌朝3時ごろ。朝飯と昼飯を調理。私たちは山の中でも飯は妥協しない。
どれだけかさばっても荷上げする。昼飯用にパッキング。ヘッドランプを頼りにガンガン歩く。
雲に隠れているのがフィッツロイだ。2時間ほど登るとフィッツロイの麓に到着した。
パタゴニアの冷たい風を浴びながら太陽が昇るのをひたすら待つ。
少しすると、フィッツロイの向い側から太陽が昇ってきた。空が赤く染まる。
感動的だった。しかし、太陽が昇ってきてもフィッツロイにかかった雲は晴れない。
「霧の山フィッツロイ」はそう簡単には姿を見せてくれない。ここ1週間パタゴニアでテント生活をしていて、自然の条理には逆らえないし、逆らわずに共存することの難しさを思い知った。
自然の条理に逆らおうとすると、地球は破壊される。人間の作り上げた条理や規則的なものなんて所詮人間世界でしか通用しない。
この霧かかった山も本当は人間からしたら晴れろよって思うだろう。しかし、自然の力は変えられない。
だからこれはこれで美しいと思う心が持てたらとても幸せだと思う。
燃えるような太陽に照らされるパタゴニアの雄大な自然を眺めていると心が満たされる。
だから、晴れたフィッツロイを見れなくても、ここに来て本当に良かったと思った。フィッツロイはそんな事を教えてくれた。
改めて、自然と共存する厳しさを感じつつも、自然に感謝した。
数時間後、フィッツロイが姿を表した。息を呑む光景だった。
フィッツロイを拝んだ後は、下山をして街のキャンプ場に戻った。登山道も美しい!街に戻ると、風が強く吹いていて私たちのボロテントは今にも吹っ飛ばされそうだった。咄嗟に対処する。
シャワーを浴びて、翌日からの計画を練る。明日はまた半日かけての移動だ。エル・チャルテン最後の日を楽しむ。いつも通り料理をしてたらふく食う。エルチャルテン、最高の街だった。