2020年、僕はインドのグジャラート州のアーメダバードというところでフィールドワークをしていました。
そこで感じた現代を生きる人の一部とも言える労働について考えてみました。
今の現状に感謝せいっ!
という内容ではないので、今の生活と置き換えてす少し考えてみてください。
働く=お金を稼ぐために労力を払う?

この記事では、インドでの労働についてお話ししたいと思います。
いきなりですけど、みなさんは「働くこと」について考えたことはありますか?
文部科学省のデータによるとによると近年では大学進学率が50%まで達しているようです。

小さいころから学校に行って、勉強して、高校、大学、短大、専門学校まで行くのはその先に「働くこと」が待っているからではないでしょうか?
それ以外でもアルバイトやパートなど働き方はさまざまで、働くこと=生きることは密接に結びついているように思います。
だからこそ、仕事は生きていくためのお金をもらうために自分の労力を使うことになります。
そして会社はより大きな利益を生むために働く人がいなければなりません。
仕事はこの会社と働く人のマッチングがあって成り立つことができます。
しかし、ときどきそのマッチングはうまくいなかない時があります。
過労死という言葉があるように、生きるために働いているのに、働き過ぎて死んでしまったら元も子もないです。
そういった人を保護するために、日本では労働基準法などによって働く人は普通に働き、普通に生活ができるように最低ラインを決めたものがあります。
もし、これがなかったり、しっかり守られなかったりしたらどうなるでしょうか?
働く人は会社のために生きて、会社のために死んでいきます。会社にこき使われて、人間ではなく、会社や会社の一部を支えるための道具になってしまいます。
本記事では、なぜ、不平等な会社と労働者の状況が起こるのか、インドで見てきたことを紹介していきます。
女性が現場?日給150円!?

僕がいたインドの西部グジャラート地方にあるアーメダバードというところでは、都市化が進んでいました。
建物がたくさんあり、人々は働いていました。一方で、なかなか仕事にありつけない人々もいました。
たとえば、家がない人です。家はないといっても、住むところはあります。いわゆるスラムと言われるところです。
「工事現場」で働くスラムの女性
僕は以前からスラムや貧困に関心があって何度かスラムに訪れたり、そのスラムにいる子供たちと遊んだりしていました。
スラムの近くには、大きなモールがあり僕はそこでよく日用品など買い物をしていました。
そのモールは富裕層がたくさん買い物をするおかげでモールの外では建物の改築工事が進んでいました。
たまたまその工事の様子をタバコを吸いながら眺めていると、数人の女性が男性に混ざって重たそうな荷物を頭の上に抱えて運んでいました。
「大変そうだなぁ」なんて傍観していると、その女性が大きな荷物を持って近づいてきて、話しかけてきました。スラムでいた五人の子供の母親でした。
基本的に彼女たちは道端で手当たり次第に物乞いをすることでお金を稼いでいました。
しかし、彼女は現場の人から声をかけてもらったそうで、改築工事に臨時で雇われていたのでした。
とは言いつつも、彼女には身分を証明するものは持っていませんでした。
基本的に就業するには身分の証明書が必要になるのですが、必要がないケースもあるようです。
ただ、これはラッキーなのか、ラッキーでないのか、日給は約150円でした。
これが法外なのか分かりませんが、インドでは経営者が労働者の最低賃金を決める権利があるそうです。
彼女はこの賃金に納得しているそうで、なぜなら物乞いでは100%お金を稼げるかがわからないからだとと言います。
そんなある日、彼女たちが住んでいるスラムが大破していました。
レンガは道路まで飛び出してスラムに住んでいた人たちは道路の反対側にある歩道にある段差にまとまって座っていました。
話を聞いて見ると、そのスラムは法的に認められた家ではないという名目で、道路の幅を広くするために解体されたそうです。
そして不幸なことに、この解体は国によるものであったため、スラムに住んでいる人たち全員に向けて、約60000円渡されたそうです。
そのお金をスラムにいた1人の男性が持って逃げてしまったそうです。
残された彼らは途方に暮れて、歩道の段差に座っていた、ということみたいです。
生活をするためにはお金が必要です。でも、これは働くと言えるでしょうか?
労働基準法のような法律がない国ではありません。
しかし、お金を求めるスラムの人を利用し、何も抵抗ができない人間を抑圧しているという見方もできるのではないでしょうか。
行き届かない教育

このような不平等には、断言できるほど特定の理由を見つけることは困難なことです。
なので、これからお話することが正解ということではなく、単なる個人的な見解になります。
スラム
スラムの近くに、障害者施設がありました。
基本的には盲学校といい、目に障がいがある人たちのための施設でしたが、申請すればどんな障がいを持っている方でも受け入れることができる施設でした。(施設長いわく)
しかし、スラム地域にも明らかに障がいがある子供も確認しました。ほんとに歩いて5分もかからない場所であるのに、その存在を知らなかったんです!!
そして施設長に話をすると、書類の話をされました。まずは障がい者と認定する必要があるそうです。
グジャラートという地域では、主にグジャラート語、ヒンディー語、英語が話されています。
しかし、スラムの人たちは、どの言語もできなかったりのです。なので、申請書類を書くことすらできず、たとえ施設に行けたとしても生活するのには相当苦労するだろうと予測できる状況でした。
そうです。インドの識字率は年々上がってきているのですが、下層部の一部や、移民は特に識字率、行き届かない教育に人生を左右されているのです。
こういった行き届かない教育は、受けられる権利を受けられないだけでなく、労働の話にもかかわってきます。
雇用者>労働者=給料は支払われない??

インドには労働者より雇用者の方が強い立場にあるということです。それは日本でも同じ部分もあります。
しかし、それで成り立つのはアルバイトであっても、最低賃金が決められていたり、有給が義務付けられていたり、生活をするうえでの最低限のことが守られているからです。
インドでも同じような法律はあるようです。しかし、法律が成り立つのは、法律によって被る損害が大きいから法律を守る。
他には法律によって罰せられる。などといったデメリットがあるからです。もしもそれがなかったら?どうなるか分かりますよね。
労働者をどれほど低賃金で雇っても、たとえ給料を払わなかったとしても、問題にならなければ、問題ではないんです。
僕の友人の話では、「アルバイトをやめる時期を考えなければ、給料は支払われない」と。
つまり、働いた次の月に、給料が支払われる場合、給料が支払われる前にやめてしまうと、一か月働いた給料が貰えないということが起こってしまうということです。
こういったことが、僕が知る限りで3件もありました。※もちろんまともな給料で、しっかり給料を受け取っているところがほとんどだと思います!
海外に行くと、働くことをついてよく考えさせられる場面に遭遇します。
物乞い。女性が体力労働。不平等な経済関係。生きていくためには、お金は必ず必要なツールになります。
でも、お金というものがあることによって、人間はお金で人を測れると思い込むようにもなります。
海外で目に見える格差を見るとき、働くということがどうあるべきか。考えさせられます。
そしてこれは決して他人事ではなく、この日本においても、考えていかなければならない問題なのです。