中南米旅行

【標高6000m】ボリビアで登山に挑戦してみた〜南アメリカ旅行記〜

本ページはプロモーションが含まれています。

本ページはPRが含まれています。

初心者でも登れる6000m級の山!? ワイナポトシ

ラパスの街で登山用具を調達

南米旅で精神的、体力的共に最大の挑戦だった。心身共に23年間の人生の中で1番疲労困憊した。私たちは、ペルーのマチュピチュ遺跡に行ったあと、アワヤスカというペルーの伝統的な幻覚剤を試しに行く後輩といったん別れ、ボリビアに進んだ。ボリビアで私はやりたいことがあった。それは、タイトルの通り、山に登ること。

マチュピチュ遺跡に行った時に、私は思った。マチュピチュってバックパッカーなら誰でも行くし、話の小ネタにもならねぇよ。って。そこで何かできないかな〜と考えた。完全にトばないといけない脳になっていた。
「あ、南米ってアンデス山脈あるやん。と、いうことは山が死ぬほどある。しかも標高も高そう!季節は夏!おっしゃ!いけるぞ!」と思い、すぐにググって登れそうな山を探した。すると、運良く、ボリビアの首都ラパス付近に6000m級の山があり、2泊3日1万円出せば登れまっせ。というのを見つけた。これだ。

クソ貧乏旅なので、たった1万円ならギリいける。時間もクソほどある。すぐに行くことを決めた。一緒に旅をしている同期も、山が好きなので、彼は初めての冬山だけど行くことになった。(笑)

ペルーからボリビアへは、地元民しか使わない裏ルートで抜けることができ金を浮かせることに成功。しかしここで相方の体調が優れないという事態…サンペドロというアワヤスカとは違うもう一つの幻覚剤にやられていたのだ…ゲロ祭りしていた…ペルー最後の街、プーノ。ペルー最大のフィエスタが開催されていた。地元民が使うペルーの国境。本当に人がいない。

そしてボリビア入国。観光客が来ないから、GoProを見られ、これはなんだ?と言われた。ボリビア人はGoPro見たことないらしい。ボリビア国境付近にいたバス。バスに人が埋まれば出発。出発時刻などはない。料金は500円ぐらいだったかな…ご覧の通りパンパン。途中雨が降り、荷物が全部ビショビショになった。途中で事故ってたし。

ラパスに着き、プッシャーなどもいるゴミみたいな安宿に泊まりながら、山の準備に取り掛かる。相方の体調が治りいい感じ。山に登るには、ツアー的なものに申し込んでガイドを付けなければいけない。街には、エージェントがたくさんある。ネットで事前に調べていた安めの会社に行き、値段交渉も難なくこなし、無事行くことに。その時、壁に飾ってあった登る山の名前とクライミングしている人の絵が描いてあるTシャツを見つけ、絶対くれよ!!!と言った。くれるか分からないけれど…

装備もシェル、グローブ、ヘルメット、ピッケル、ブーツ、アイゼン、ハーネス等冬山に必要な用具は1式貸してくれる。
ゴミみたいなクオリティだけどね。私たちは、バックパックはいつも使っている60Lほどのものがあるからそれを使った。また、ウインドシェルや、山用のパンツ、靴下なども持ってきていた。さぁ、準備は整った。これから2泊3日全く想像ができない6000mの世界に行く。

登頂しないと本当にダメだ。絶対にやってやる。とずっと思っていた。何か分からないけど、絶対に登らなければいけないというプレッシャーがあった。
(登らなかったらぶっ飛びネタがなくなる…)

地獄への入り口

山行1日目

ボリビア、ラパスの中心にあるドミトリーを出て、前日予約したエージェント事務所に向かった。装備を借りて、パッキングをして、ガイドが来るのを待つ。
メンバーは、私、相方、ボリビアのサンタクルスから来ている大学生のホワン?フアン?君の3人。山小屋で飲み食いする食料品なども一緒に車に積めて、いよいよ出発だ。山に行くわけだから当然車はどんどん街の上へと向かう。

ラパスは山に囲まれており、盆地だ。もちろん、丘の上にも人は住んでいる。日本だと、山の手というと、高級住宅街のイメージがあるだろう。私の地元神戸も、山の手に住んでいる人はお金持ちが多い。

しかし、ここボリビア・ラパスは逆だ。山の手に住んでいる人たちは、低所得者の人たちだ。車で丘の上に着いた時、圧倒的に実感した。犬の目は皆真っ赤で、数も人間より多い気がした。また、人気もほとんどなく、家からは人の温かみはほとんど感じない。経済格差は目に見えて感じることができる。そのまま私たちは、1時間ほど車に揺られ、標高4800mのベースキャンプに到着。着いてすぐに、アイスクライミングに行った。私は経験者なので、とにかく楽しかった。

その後、ベースキャンプに戻り、飯を食う。ここで山小屋飯を一挙ご紹介。

圧倒的に美味しくはない。しかし、エネルギーがないと死ぬので下界で食うよりは美味い。(登頂後、ハイキャンプで食ったパスタは本気で吐きそうになったけれど。)

寝床だ。マットレスの上に寝袋広げて寝る。以上。クッソ寒いぞ。3時間寝れたら上等。

山行2日目

朝、6時ぐらいに起きて、朝飯を食って、5400?mぐらいのハイキャンプまで歩く。やはり、標高が高いせいか、普段の山よりも息がめちゃくちゃ切れる。足も重い。あの飯もあってか、栄養素もたりてない…そんなこんなで約3時間くらいでハイキャンプへ。ハイキャンプでは、明日のアタックに向けて気持ちの準備。

ここで、ホワン君が明日のアタックに不参加するかもしれないという事態!?どうした…実はホワン君はベースキャンプからハイキャンプまでの道のりでもだいぶバテバテで正直ついて来れてなかった。私たちでさえ普通にキツかったし、根性パワーを40か50%は使っていたし…しかも、天気はここのところずっと悪くて、アタック日の天気も悪いという予想。

さらに、前日アタックしたブラジル人男性が開始2時間で重度の高山病になり、そのまま帰らぬ人となったらしい…流石にそれ聞かされた時は私たちもびびり倒した。(笑)でもホワン君は、行けるところまで行くよ。と言い、3人でよし、絶対登頂するぞ!!!と結束した。さぁ、いよいよ翌日はアタック。今夜は18時に就寝し、深夜0時に起床し、アタック開始。標高5400mの中寝るのはなかなか厳しかったが、エネルギー回復のため意地で寝る。2時間寝れたら上等だ。

もはや死の世界。達成感と感動と共に

山行3日目

深夜0時起床。の予定がガイド寝坊で0時半ごろ起床。1時間はギリギリ寝れた。朝飯というか、甘いパンとコーヒーを無理やりかきこんで、エネルギーにする。そして、深夜1時、真っ暗の中スタート。天候は吹雪。最悪のコンディションだ。予定では5時間で頂上に着く。ガイド、相方、私の順番でロープを繋ぐ。

ひたすら、暗闇の中、吹雪の中、極寒の中、標高5000mの中を歩く。このような時に限って、ネガティブが頭にずっとよぎる。標高の高さで息は切れまくり身体は重く、夜中なので頭や身体はまだ完全に起きていない。もちろん吹雪、極寒なので、体力は奪われまくる。

そして、何より暗闇という環境が私たちの精神を破壊してくる。人間が生きる上でどれだけ環境が大事かを自然の中で思い知る。雨の日はなんだか憂鬱…なんていうけれど、本当に吹雪と暗闇という環境は死の世界、まさに地獄なのだ。しかも、昨日人がここで死んでいる。だから絶対登頂できるなんていう保証はもちろんない、なんなら死ぬ可能性だってあるのだ。

日本である程度、訓練をしてから行くようにしましょう。

自然には逆らえない、自然は操れない、自然の大きさを全身で感じた瞬間だった。まさにこの写真の時がその瞬間だ。標高5600m時点の私。30分に一回ペースで休憩を取りながら、ひたすら頂上を目指す。休憩中もゆっくりしてられない。-10度以下、吹雪の場所で立っていたくない。温かい飲み物も持っていないので、水を飲んでも身体は冷える一方だ。

途中後ろを振り返ると、何組か続いていた。この中で何組が登頂できるのか…だんだん周りは明るくなってきた。午前5時ごろを回り、そろそろ日が昇っても良い時間だ。しかし、天気は回復せず依然として吹雪だ。

雪と風が痛い。バラクラバという目出し帽をつけているが、ウールなので、息が水蒸気となり、凍る。そして、空気中の酸素も薄いので、バラクラバの上からだとうまく呼吸のペースが整わない。途中、何度もバラクラバを噛みちぎって捨ててやろうかと思った。天気は全く良くならず、精神的にも疲労が溜まる。雪が地面に付き過ぎて、崩れる心配もあるので、道を何度も変える。

ガイドは何も言わずひたすら進んでいく。「クソ、天気さえ良ければ全然楽なのに…」本当にそう思った。実際、天気が良ければ地獄ではなかった。楽しく登っていたであろう。スタートから5時間が経過した。感覚的にはそろそろだ。尾根に入った。私は冬山の経験があるので、なんとなく今、この辺だなと分かる。

右側が斜面。尾根に入れば、頂上はもうすぐだ。一歩ずつ、確実に登る。そして、スタートから約5時間半。ついに、標高6088mワイナポトシ山登頂!本当に。感動した。天気は最悪で何にも景色は見えなかったけれど、そんなのどうでもよかった。ここまで来れて本当に良かった。相方と握手を交わし「ありがとう!」

この瞬間は本当に泣けた。私たちは正直言って、景色が見たいがために登っているとかそういう理由ではない。限界突破した究極の挑戦がしたい!だから、むしろ天気悪くてありがとうという感じだ。頂上はもう寒すぎるので、写真撮影をして、すぐに下山。この時、私たちは下山が1番の地獄になるとは思ってなかった。ガイドが私に、「お前が先頭行け!」と言ってきた。

初めて登る山、かつホワイトアウト(何も見えないこと)してる中でこのガイド正気か?と思ったけれど、良い挑戦だと思ってやった。疲労困憊の中、判断能力を研ぎ澄ませて道を選んでいく。足をしっかりとりながら下山していく。気付けば、登りで会った登山隊は誰もいない。1組だけ死にそうになりながら登っている隊とすれ違ったが、それ以外は1組も見ない。

多分、皆途中で下山したのであろう。無理もない。この環境は最悪のコンディションだ。下山は2時間ぐらいだろうと思っていた。しかし、昨夜からの雪で地面はふっかふかになっていて、足がズボズボはまる。そして、思っていた以上に足が思うように扱えない。多分、登りはアドレナリンで登頂でき、そこまで身体に負荷は感じなかったけれど、実際はかなりのダメージがきていた。エネルギー不足も著しかった。

途中から最後までずっと足がズボズボはまり、抜きの繰り返しで、体力が奪われ、足もフラッフラだった。横目にはクレパス(雪渓の深い割れ目。落ちれば死ぬ可能性もある)がたくさんあった。相方はもう立つのも限界という感じだった。気づけば約3時間歩いていた。午前9時。ついにハイキャンプに戻ってきた。

この時、立つのもやっとで、口を開いて話すことなんてできなかった。生まれて初めて、疲れすぎて言葉が出なかった。話す行為すらきつかった。ハイキャンプには、ホワン君がいた。ホワン君はやはり、途中で引き返したそうだ。着いたはいいが、またすぐにベースキャンプまで戻らなければいけない。最後の力を絞って荷造りをし、スープとパスタを胃に入れた。

午前11時。ハイキャンプを出発し、ベースキャンプに向かった。この時はもうゾーンに入っていた。ただ、足を動かすという作業だった。約、1時間でベースキャンプに下山。早く、街に帰って美味い飯が食いたい。本音を言えば、日本の自分の家に帰って温泉入って、腹一杯日本の飯を食いたかった…

ベースキャンプには、この日山に入ってきた登山隊がいくつかいた。みんな頑張ってくれ。午後12時半ごろ。車でラパス市内に向けて出発。爆睡したよね。

市内につき、エージェント事務所へ。事務所に預けていた荷物を回収し、装備を返却。兄ちゃん、登頂したぞ!Tシャツくれよ!約束通り用意してくれていた。ガイドが最後に、お前らはタフだったよ!ってよ。当たり前だ。正直これぐらいの究極がきてくれないと私たちは満足しなかった。ちょっとやそっとではバテやしないぞ。だから、本当に大満足な山だった。

今回の挑戦は細胞レベルで自分が強くなったと思う。(笑)「最高なネタができたな!」20kgの荷物を背負いラパスの街をふらふらになりながら歩きながら2人でそう話した。どんだけ辛くても、きつくても、それを楽しめる私たちは最高だと思う。辛い、きついことの中には学びがたくさんあって、それを乗り越えた先にある新たな世界に踏み入れた時の快感は最高にアツイ。そうやって、人間は経験値を上げていって、人間的なレベルも上がるのだと思う。

改めて、この挑戦を一緒にやってくれた相方に感謝と、2人で登頂できたこと、その過程を共有できて最高の経験になった。

古川晃(Great Journey)
職業:PR会社勤務

学生時代20カ国以上の国に旅をした。
東南アジアでは42日間10万円で5ヵ国周遊、南米大陸では2週間パタゴニアテント生活・6000m級の山に登頂、ウズベキスタンでは日本についてのイベントを開催するなどの挑戦を行ってきた。また、7ヶ月間オーストラリアでワーキングホリデーを行った経験もある。将来は人と人の繋がりを生むためのゲストハウスを建てたい。

  • この記事を書いた人
旅BROプロフィール画像

旅BRO

大学の2年生の時に休学してから50カ国以上を旅してきました。 旅行から始まり▶︎留学▶︎バックパッカー▶︎ワーホリ▶︎海外ボランティアの経験あり。 さまざまな国に行って感じたことや経験したことをコミュニティを通じて 共有していきたい! これから海外に行こうと考えている方のサポートができるような記事を書いていこうと思います。

-中南米旅行
-,