バッタを倒しにアフリカ?

「バッタを倒しにアフリカへ」というタイトルとこの面白い表紙を本屋さんでみた時に手がこの本に手を伸ばしていたことを思い出します。いろいろ考えました。「なぜバッタ?」「なぜアフリカ?」「なんでこの格好?」などなど。
そんな何気なく買った本にこんなに笑せてもらえるなんて、購入して本を開くまでは想像もしていませんでした。そう。気づいたら文章に引き込まれていて、クスッと笑っているコメディ的な要素が盛りだくさんなんです。
この著者の前野ウルド浩太郎さんは、バッタの生態を研究するためにアフリカのモーリタニアという場所でフィールドワークを行なっていた研究者なんです。そして彼はアフリカのモーリタニアという国での生活をブログに書いて人気になったそうです。本当に素敵な文章なのでまだ読んだことがない方はぜひ読んでもらいたいです。

ということで、前野ウルド浩太郎さんのように巧みに文章を操ることはできないのですが、一応僕も海外が好きでアフリカにもいったことがあるということで、僕の経験のエピソードも折り合わせながら、本紹介をさせてもらいます。
アフリカという国

アフリカは第二次世界大戦までは、先進諸国の植民地として搾取される立場にありました。モールタニアも例外ではありません。モールタニアは8世紀ごろから王国の発展、滅亡を繰り返し、12世紀ごろにはメッカへの巡礼地の出発地点として、イスラム教が根づいていきます。19世紀末ごろにフランスに植民地化された歴史もあり、独立した現在でもフランス語話者が多く、イスラムの習慣を守っている国です。
英語を取得していた前野ウルド浩太郎さん(以下前野さん)はフランス語の習得に苦戦したそうです。僕もアフリカでは英語で突き通した思い出はありますけど、例えばインドでは英語だけでは難しい部分もありました。長期間滞在する場合や、その地の具体的な何かを学びたい時など、その国で使われている言語は欠かせないものになってしまいます。
現地での生活は言語だけが問題ではありません。モーリタニアではイスラム教の信仰が多数を占める国です。イスラム教は「お酒飲めない」「お肉はハラルフード」「ラマダーンで断食」など、無宗教に近い日本や他宗教を信仰する人にとっては、生活すらも厳しい習慣をもつ宗教です。こういった問題を抱えながら、研究者として人々の生活のなかに飛び込み、信頼関係を築いて行くことは容易なことではありません。
そして前野さんはバッタを研究するという大きな目的がありました。バッタ?と思いましたけど、バッタはアフリカにとって大きな問題として考えられています。ウィキペディアによるとモーリタニアは国土のほとんどが砂漠に覆われ、可耕地は国土のわずか0.4%に過ぎないという。このような土地でバッタは数少ない食料を食い荒らす虫なんです。
人類を脅かすバッタ革命

バッタはバッタですけど、バッタにも色々な種類があるそうです。それらを大きく分類すると「孤独相」と「群生相」になるそうです。孤独相は名前の通り穏やかで1匹で行動するバッタです。1匹でいると穏やかで特に害はないそうです。一方で、群生相は群れで行動するバッタです。群れで行動するバッタはどうなるか?
凶暴になるそうです。バッタは群れになることで数少ない食料を食い荒らす虫に変化します。赤信号みんなで渡れば怖くない。これはバッタの世界でも共通みたいですね。みんなでいると悪いことをしても、まぁいっかと思う。そんなこと感じたことはないですか?
ありますよね??あると思ったあなたはバッタと同じです。(笑)
そして、群れたら何かができるような気になるのは虫も同じだそうです。そして何と言っても質が悪いのが、一匹でいる「孤独相」もひとたび「群生相」と混ざると「相変異」になって数少ない食料を食い荒らす虫に変化します。
人間でいうところの高校デビューや大学デビューですね。ずっとおとなしかったあの子が金髪?!自分の意思はねぇのかよって個人的には情けないなぁって思うんですけど、意外とそうでないかもしれません。
なぜなら、人間は1人で生きてくことはとても難しいからです。そんなとき誰かがいると心は落ち着きます。それが大人数になることで、できることは多くなります。たとえば、歴史的な大きな革命。これは1人でできることではありません。みんなが同じ方向に向かい一致団結することで革命が達成されるんです。それには多くの犠牲が伴います。バッタも殺虫剤で大量に殺されました。それでも達成したい何かがあるのかもしれません。
海外で研究するということ
前野さんにとって初めてのアフリカは研究のためのフィールドワークという使命がありました。「アフリカという国」でもお話したように、言語や宗教による習慣はトラブルの原因や海外で生活していく上で大事なことになります。
しかし、問題は当たり前のことですがそれだけではありません。たとえば、物価の感覚。海外あるあるですが、先進国で生活している人が発展途上国に行くと物価が安く感じることがあります。
前野さんの場合、研究費として最初になかなかの金額を手にしました。お金の感覚が慣れるまでに意外とお金を使ってしまっていたなんてことがあります。僕も現地に行くと気をつけるようにしているのですが、最初の1ヶ月はわかっていても無駄に使いすぎてしまいます。
でも、海外ではいつ何が起こるかわかりません。病気もそうですが、お金のトラブルなど最初から想定し難いことが起こるのが海外です。だからこそ、現地でしっかりといち早く置かれている状況を理解し、現地の生活に馴染むことができるかがキーであったりします。
アフリカでは日本でいるよりも便利な生活ができるわけではありません。だからこそ、現地の人がどのように生活しているのかを観察し、自分に吸収する。これが基本なんだなと感じさせられたりしました。
とはいっても、フィールドワークは楽しいものです。これぞ研究!!と言えるようなフィールドワークは今までしたことがありませんが、僕自身も何度かフィールドワークっぽいことをしてみて、学ぶことの多さに気付かされたことがあります。
大学や学校などで学ぶことも大切な教養ですけど、結局フィールドに行くことがが机で勉強するよりもいいなんてこともあったりします。こんなに面白いことがあるんだ!いい報告が出来そう!と思っても、現地では当たり前のことなんてことがよくあります。そんなとき自分の視野の小ささと、世界の広さを感じたりして、海外により興味が湧いたり、世界が好きになったりします。
何かを好きになること
前野さんは本当にバッタが好きなんです。この本を読まれた方ならそれが伝わってくるはずです。自分が好きなことを見つける作業は本当に難しいことです。ましてやそれで食べていけるようにするなんて。。前野さん自身もそれがいかに難しいことで、努力だけではどうにもならないこともこの本から伝わってきます。
自分の好きなことをして、それが仕事になって、、そんな理想を僕は何回思い描いたことか。。でも現実は厳しいものです。ただ、この本から一つ大きなことを学びました。それは、「好き」を明確化して体現することです。
つまり、好きなことはみんなそれぞれあると思います。絵が好き、海外が好き、釣りが好き、本が好き・・でも「好き」や趣味で終わっていることって結構多いと思うんです。趣味や好きなことがあることは大事なことですけど、それを仕事にしていくためには好きの次に「好き」を明確化する必要があります。
「好き」を仕事にしなくてはいけないという話ではありません。「好き」は単なる趣味として仕事とは区別し、それを日々のモチベーションにすることも大事なことだと思います。

こうやって明確化することで、自分が漠然とした「好き」の何が好きなのかがわかります。次に体現です。

のように、自分が好きなことをしていくためにはそれを突き詰めていく必要があります。
前野さんはバッタが好きで終わらないためにバッタの研究者としてプロフェッショナルとなり、そしてブログやさまざまな機関への面接という過程を踏んで、好きを仕事にしていました。この本はビジネスの本ではありませんが、好きを突き通すプロセスとその奮闘が感じられる本でした。
日々の生活に感謝すること

海外は思い通りにいかないことが多いです。前野さんの本でもさまざまな失敗や挫折が感じられます。それでもめげずに、新しい方法をみつけ、学びにかえる力。これの重要さがしみじみと伝わってきました。そしてそんな生活をするからこそ、普通の日常がどれくらい貴重なことなのかを感じることができます。
毎日食べるご飯も、寝どころがあることも、病院があることも、普通と思っている日常は場所が変われば、普通ではなくなります。そんな状況になって初めて気付けることも残念ながらあるんです。当たり前から抜け出すことはとても難しいことです。
生きていくのは全てがいいことではありません。そしてなぜか、不幸なことばっかりに目がいってしまって、イライラしたり憂鬱になってしまう。そんなシステムが私たちに張り付いています。
生きる上で大切なモノを欠いた生活を送ってこそ、日常の背景にある幸せを感じることができる。そんなことをここ数年海外に行っておらず、家でぬくぬくと寛いでいる僕は感じました。